Lesson 2

siko高校卒業記念小論文



サラワクに行く前にsikoは高校を卒業した。
sikoの通った高校で卒業小論文が必須課題として与えられ、
当然の如く、「アジアの中の日本」というタイトルで
生意気な小論文を書いて卒業した。

この論文を書いた直後、
イバン族でのホームステイに行ったsikoだった
何故、sikoがイバンの所に行ったかの原点が此処にある。



1992年2月29日高校卒業
siko「卒業記念小論文」より



「アジアの中の日本」

「アジア」と聞くと、我々日本人は差別の目で見てしまう事が多い。なぜだろうか?日本もアジアの国の一つであるのに。

 最近、アジアを理解する日本人が増え、テレビ・新聞などでも、アジアについて報道されるようになってきた。でも、まだまだ日本は欧米型であり、日本人はよく「バナナ」と言われる。顔は黄色くても中身は白人であるのだ。そして、外国人といえば、アメリカ人ヨーロッパ人などの白人をイメージする人がとても多い。帰国子女を例にとってみると、アメリカ・ヨーロッパから帰国した子はちやほやされるが、韓国・香港・フィリピンなどアジアから帰国した子はあまり相手にされないという話を聞いたことがある。しかし、帰国子女の多くはアジアから帰国した子であり、その背後には日本企業のアジア進出が大きくある。日本企業がアジアへ進出したために、様々な問題がアジア各地で起きている。経済大国となった日本は、高度成長期に脱亜入欧という国策を行って以来、アジアの国の一つである事をわすれてしまっているのではないか。そして、この様な日本でいいのであろうか。そして、どの様に変化しなければいけないのか。

 アジアを考える中で、忘れてはいけない事がある。それは日本のアジア各地への侵略である。日本では、戦後、平和憲法をとなえ、原爆経験国として世界に平和を呼びかけているが、アジアへの侵略については不幸な出来事として片付けてしまっている。アジアの国では日本人によって殺された人、強制的に改名させられた人が数えきれない程いて、日本に対する恨みが根を張っている。日本は、きれい事ばかり言っているからだ。日本の教科書とアジアの国の教科書を見比べてみると、朝鮮の三・一運動について日本のある世界史(高校用)の教科書には、わずか五行で書かれてあるのに対し、韓国の中学校の教科書には一ページ以上書かれている。その上、教科書のサイズは日本のものより大きく、字の大きさは同じくらいである。この差をどう見るべきなのか。日本の犯した罪を五行で書いただけでいいのであろうか。この様な歴史的な事については、国に左右される事なくしっかりと事実を教える必要があると思う。

 さて、次に日本経済・企業について考えなければならない。日本企業はアジアへ進出を強化して、低賃金でアジアの労働者を搾取している。日本への出稼ぎ労働するアジア人も増えている。しかし、日本ではこの様なアジア人に観光ビザしか与えていないため不法労働として厳しく取り締まっている。だが、日本の中小企業は、低賃金でよく働くアジア人をどうしても雇ってしまう。いくら警察が取り締まっても、なくならないと思う。出稼ぎ労働者に対して、ちゃんと労働ビザを与えて、働く環境を作ってこそ、日本は経済大国と言えると思う。外国人労働者による犯罪が減らない理由の中に、この事が含まれるのではないかと思う。日本の秩序に、労働者たちが自由に入ることができるようにすべきであると思う。

 又、日本企業は公害を輸出している。アジアの豊かな緑の多くが、日本の手によって失われている。森林伐採について考えると、マレーシアのサラワクで、年間約三十万ヘクタール(東京の一・五倍)伐採されている。熱帯林を破壊する事により、地表は剥き出しになり、河川は濁り、動植物は次々と絶滅していき、森に住む先住民は心と身体の病気にかかってしまっている。戦争に続いて、又日本はアジアに不幸をもたらしているのである。アジアでこれだけ多くの木をきってくるのだから日本には森林が無いのかと思うと、日本の国土の四分の三は森林であり、少し街から離れただけで、美しい緑に包まれた山々を見る事ができる。日本でも、木曽ひのきなどの木を切っているが、伐採した後には植林をしている。植林してその木が立派に成長するまでには何百年とかかる。しかし、植林されていないアジアの国に比べると、日本の山は豊かである。日本はアジアの国で森林を伐採するのを減少させ、植林という技術を教えなくてはならないと思う。何百年後には又、緑が戻るようにしなくてはならない。しかし、伐採する速さは植林していっても追いつく事は難しい。が、日本が木の消費を減少させていけば、伐採のスピードを落とす事が可能となる。したがって、牛乳パックのリサイクルや再生紙の使用をさらに進めていく必要がある。コストはたくさんかかるが、やらなくては、アジアの緑が無くなってしまうのである。

 日本政府の海外援助について見てみると、ODA問題が一番であると思う。日本のODAの額は急速に増えて世界一となった。しかし、ODAの中身については、たくさんの批判がある。一九八四年にスリランカに日本の援助によって近代的な設備が整った病院ができた。しかし、いざ操業開始という事になると、実際にそれを使いこなす技術もなく、医師も看護婦もほとんどいなかった。ハイテク病院が出来たのに、ほとんど生かされなかったのだ。日本は作るだけ作り、それ以上の事はしなかった。これは、典型的な日本のやり方であり、アジアの各地で、これに似た事が起きている。これで本当の援助と言えるのであろうか。日本の多額の援助によりアジアでは、ますます貧富の差がひどくなっていると聞いた。日本の援助により、金持ちはより金持ちになっていく。本当に援助を必要としている一般人には何も与えられていないのだ。NGO(非政府組織)と呼ばれる民間団体が、本当に援助を必要とする人達への援助を行っている。例えば、身近な日進町にはAHI(アジア保険研修所)がある。ここでは、アジアの保険をターゲットにして、治療より予防を人々に教えている。日本人が現地へ行き指導するという、政府の様なやり方ではなく、現地の人で保健活動を行っている人達をより育てていくのである。現地の人なら、どの様な現状であるか、何が一番必要であるかという事を一番よく知っているし、一時的ではなく、永久的な活動ができる。このAHIの様に、貧しい者の立場となり援助を考える団体が、数多くあるべきだと思う。一つの大きな団体では、かえってその中で分裂していったり、その他の摩擦が多くなる危険性があるからだ。又、この様な団体がある事をもっと人々に知らせなければならない。なぜなら、団体名のアジアと聞いただけで、危ないと思う人が多いからだ。その前にアジアへ持つイメージを変える必要があると思う。

 アジアに対するイメージというと、どこか暗いイメージを我々日本人は抱いている。村井吉敬・城土一夫・越田稜編著の「アジアと私たち〜若者のアジア認識〜」という本に、十年前に高校生に対しアジアについてのアンケートを行った結果が書かれてある。それによると、「アジア」という言葉のイメージは、「発展途上・後進国・開発途上」「貧困・飢餓」がトップに上げられていた。又、自分たちの生活は欧米の影響を強く受けていると思っている。親近感や関心を持っている地域は主に、西欧・北米・中国であった。アジアに対する親近感や関心度は低かった。アジアの国から好かれているかという問いには、六十%が「いいえ」と答えている。歴史的関係などがその理由にあげられていた。さらに、アジア人と付き合いの有無では、八十四%が「いいえ」と答えていた。さらに、アジアの一員としての日本については、理屈ではその通りだが、現実には実感として必ずしもそうとは言えないという意見が五十一%であって、その通り、ある程度はそうであるが十八%であった。日本はアジア人であるのだが、中身は白人なのだ。まさしく「バナナ」なのである。

 しかし、日本とアジアは深いつながりがあり、特に今日の日本はアジアの多くの犠牲があったから存在すると言えると思う。我々日本人は、その事を理解しているようであるが、実はあまり理解していないのだと思う。そのため、アジアについての知識、理解が無いので、戦争・経済などにまだまだ多くの問題を抱えているのだと思う。

 私も二年前までは、アジアを全く無視していた。しかし欧米にあこがれを持っていたわけでもなかった。はっきり言ってしまうと、国際社会などにあまり興味が無かった。日本人で有ることも何も思っていなかった。ある日、シンガポール人の歌と出会った。その歌にはアジア人である事を喜び、楽しくアジアについてのメッセージがこめられていた。この人の歌に出会い、私はアジア人である事に気づき、アジアに興味ができて、アジアをとても知りたくなった。そして、アジアについて何も知らなかった、知ろうとしなかった自分を情けないと思った。しかし、自分を庇うつもりはないが、アジアを思う気持ちが日本人にあまり無い背景には学校教育が大きく問題になると思う。

 教科書に、アジア侵略についての内容がしっかりと書かれない様に、アジアを軽視していると思う。脱亜入欧して以来、日本はアジア人である事を気にせずここまで来てしまった。学校教育の中でも日本人がアジア人の一人である事はあまり重視されていない。アジアと日本は、経済的に強く結びついている。「日本がくしゃみをすればアジアは風邪をひく。」とも言われている。アジアとのつながりは、日本にとってはなくてはならない。それなのに、日本はアジアについて理解をしていない。学校教育でもっと教えるべきであるが、それよりも一人一人の日本人がアジアを自分の手で理解していくべきだと思う。アジアの地へ旅行に行っても、ただ買い物をして、金を使ってくるだけでなく、一人のアジア人として旅を楽しめるように考えを変えていきたい。日本とアジアは互いに理解しあって、共に生きるべきだと思う。戦争の傷跡は深く日本への憎しみは消えることはないだろうが、日本が変わればその憎しみは柔らげることができる。アジアの中で日本が独走しない様に守っていく事が二十一世紀へ向けて我々がなすべき事なのだ。

<引用文献>
1.岩波書店編集部編、「シポジウム・新しい世界秩序とアジア」、一九九一年、岩波書店
2.村井吉敬・城戸一夫・越田稜編著、「アジアと私たち〜若者のアジア認識〜」、一九八八年、三一書房
3.サラワクキャンペーン委員会発行パンフレット

<参考文献>
1.鶴見良行編、「アジアからの直言」、一九七四年、講談社
2.アグネス・チャン、ルベン・アビト著者、「アジアの事が気にならないあなたに」、一九八九年、めこん
3,朝日新聞社会部編、「近くて近いアジア」、一九八九年、学陽書房
4.吉岡忍、「日本人ごっこ」、一九八九年、文芸春秋
5.インタラタイかつ代、「『顔』の悪い日本人〜タイ人から見た日本人編〜」、一九八五年、学生社

*注:文中の日進町は現在は日進市となっています。(2004.3.7)